函館

小樽から足を伸ばし函館にやってきた。北海道で唯一行っていないのは函館だけだった。函館に降りたら、地方の小さな町の姿に違いなかった。プロペラ機の発着する町の姿は、南米チリのイースター島にも似ていた。
タクシーで案内されたのは、町の中心部にある五稜郭である。榎本武揚と新選組の土方歳三が倒幕派と戦った最後の場所でもあった。きれいに整備はしていたが、やはり戦いの波動が払拭されることはなかった。血生臭い波動は、浄化しない限り消えることはない。ただ、繁華街を除いて町が非常に閑散としており、かつての漁港の繁栄は消えていた。人口の減少に拍車をかけているのが現状である。ガイドの話では、若者は働かず、家にこもり老人と同じような生活を送っている、という。

函館には石川啄木の句碑がある。
「東海の小島の磯の荒波に 我泣き濡れて蟹と戯むる」
啄木は、若くして亡くなったが、若き日に函館で新婚生活を送っていたらしく、東京で亡くなる前、函館に墓を作るようにと妻に告げていたらしい。函館を見下ろす立待岬に碑とともにある。私は、この東海が静岡あたりかと思っていたが、函館とは全く知らなかった。夜景で有名な函館山に登ると、日本海と津軽海峡に挟まれた函館の町が分かる。その昔、函館山の裾野は海岸であったろうということから、小島というのが函館山を差している、という。
5時過ぎると暗くなり、夜景がくっきりとし始める。月も地平線の向こうで煌々と照らしている。私の側で啄木が一緒にその光景を見ている、そんな感じだった。
因みに、立待岬というのは、アイヌ語で「魚が来るのを待つ」という意味らしい。恋人が帰って来るのを待つ、という意味ではない。

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ
003 003 003 003 003 003 003 003 003 003 003

このページの先頭へ